昔々、鹿角というところに3つの物語がありました。

鹿角に伝う物語

幸稲荷神社と祭

花輪の街にとって8月19日-20日は特別な日。極彩色の屋台(山車)が練り歩き12種の囃子とともに熱狂的な掛け声が花輪の街に響き渡る。

左多六と忠犬シロ

シロは左多六を助けるために山を越え雪の中を何往復も走った…。忠犬ハチ公よりはるか昔に伝わる哀しい物語。

鏡田地区とマタギ

「俺たちは熊を獲って暮らすだけだ。」そんなマタギたちが山へ熊の皮を投げ捨てた希望の地「鏡田」への辿り着くまでの不思議な物語。

千歳盛は鹿角の良質な水と米、そして寒冷な気候により生まれます。

鹿角地域は昼と夜の寒暖差が多く米の栽培適地であり山々に囲まれているため豊富な天然水に恵まれております。
良い米と良い水を北国秋田の中でも群を抜いた厳寒な地域鹿角で丁寧にじっくりと時間をかけて仕込まれたお酒です。

幸稲荷神社と祭り

一つ目は、鹿角の中心地「花輪」の町で平安の頃より受け継がれているお祭りを紹介します。

花輪ばやしは市街地の東約3.5キロに位置する幸稲荷神社(さきわいいなりじんじゃ)の「祭礼ばやし」として現在に引き継がれており、この祭礼は、古くからの花輪の人々の厚い進行とともに「花輪祭礼」「稲荷神社祭典」「豊年祭り」「豊年花輪祭り」「花輪祭」などと様々な呼称で綿々と引き継がれ、祭礼ではお囃子が奉納されてきた。
幸稲荷神社の祭礼で、お囃子がいつの頃から奉納されるようになったかは定かではないが、伝承されている曲のいくつかは江戸時代前期以前の古い時代から伝えられてきたといわれている。

産土の神を奉る幸稲荷神社は鎌倉時代1204年(元久元年)の創建と伝えられ、古来近郷の信仰を集め祭礼はもとより、元朝詣りには、多くの老若男女を集め年々栄えている。毎年の初午には、この地に生まれた厄年の人々が一同に会して産土の神の前にて厄払いの儀式が盛大に行われていることは他に類を見ない程だ。
祭典は、お盆明けの8月16日本殿から、神官、氏子総代に守られたお御輿が、直径1m余りの大太鼓を従えて町内を一巡りして「御旅所」に安置されることから始まり、20日本殿へ還幸されるまでの5日間行われる。
花輪ばやしは、その中の19日・20日の両日幸稲荷神社・産土の神に奉納するため盛大に行われているものだ。青垣山に囲まれた城下町は祭り一色に彩られ、近隣はもとより多くの観光客で賑う。

左多六と忠犬シロ

二つ目は、「ハチ公」よりも昔、主人を助けようとした「忠犬シロ」の哀しい物語です。

昔、草木(くさぎ:現在の鹿角市十和田草木)に左多六(さたろく)と言う「マタギ」 (猟師)がいて、彼は、日本中どこの土地でも猟ができる巻物(免状)を持っていた。これは、左多六の先祖が源頼朝公の富士の巻狩りで手柄をたてたことから、南部の殿様からもらった、子孫代々まで許される天下御免のマタギの免状であった。

左多六は、“シロ”という名の、賢くて主人思いの秋田犬を猟犬として飼っていた。
ある年の2月、左多六とシロはカモシカを追いかけるのに夢中になり、鹿角と青森県三戸の境の来満峠まで来てしまっていた。左多六はカモシカに向けて鉄砲の引き金を引いた。すると、三戸の方から来た5人の猟師達が迫ってきて、「お前はどこの者だ。そこの境小屋が見えないのか。お前もマタギなら勝手に他の領内で猟はできないことは知っているだろう。」と詰め寄ってきた。左多六は、しまったと思い逃げようとしたが、捕らえられ三戸城へ引き立てられていった。

牢屋に入れられた左多六は、あの天下御免の巻物を忘れて来たことを後悔し、明日にも打ち首になるかもしれないと思い、ため息をついたり涙をこぼしたりしていた。

牢屋のそばに忍び込んだシロは、やつれた主人を見て「ワン」と一声吠え、暗い雪の道を草木へ向かって一目散に走りだした。シロは、山や谷を走りに走り、草木に到着すると、まるで火がついたように吠えた。左多六の妻は、雪だらけになって帰ってきて吠えるシロを見て、何があったのかをなだめて聞こうとしたが、シロの言葉を理解することはできなかった。シロはどうしたらいいかわからず、食う物も食わずにすごすごと主人のもとへと帰っていった。

 シロは再び左多六の所へ戻った。左多六は「シロ、仏さんの引き出しに入れている巻物を持って来ておくれ。それがあればおらは助かるんだ。シロたのむ。」と言った。

シロは「ワン」と大きく一声吠え、また草木へ向かって雪の中を走って行った。
草木へ着いたシロは、ありったけの力をふりしぼって、仏壇に向かって吠えた。左多六の妻は、ハッと思い、急いで引き出しを開けて見ると、そこには巻物があった。妻は顔色がサッと変わり、ふるえる手で巻物の竹筒をシロの首に結ぶと、「シロ、頼む。」とシロの背中をなでてシロを見送った。

シロは再び三戸に向かって夜通し走り続けたが、来満峠を越えたとき、三戸の空が明けていき、夜明けの鐘とともに、左多六の命はこの世から消えてしまった。シロが命懸けで牢屋に着いたときには、主人はこの世の人ではなくなっていた。処刑場に横たわった左多六を見て、シロはとても悲しみ、しばらく主人のそばから離れなかった。

それからシロは、小高い山の頂きに駆け登り、三戸城に向かって恨みの遠吠えを幾日も幾夜も続けた。この場所は今でも「犬吠森(いぬぼえもり)」と言われている。その後間もなく、三戸には地震や火事など、災難が続いたという。
やっとのことで草木に着いたシロは、途中食べる物もなく寒さと疲れのため、とてもやつれた姿であった。
左多六の犯した罪のために、お上のとがめを受けた一家は村から出ることになった。左多六の妻とシロは、南部領の草木から秋田領の葛原(現在の大館市句葛原)というところに移り住み、シロはいつからか「老犬さま」と呼ばれるようになった。

それからしばらく年月がたち、シロの姿を見かけることがなくなっていた。

ある時、村人が馬に乗って村はずれにくると、突然、馬が歩かなくなってしまった。不思議に思い周辺を見渡すと、シロの亡きがらがあった。あわれに思った村の人々はシロの亡きがらを南部領の見える丘に埋めてやった。
その場所は、現在でも“老犬神社”として、村の人々に祭られている。

鏡田地区とマタギ

三つ目は、鹿角の美田地帯「鏡田」に伝わる不思議な物語です。

昔、あるとき、鹿角市花輪の東の方角にある県境の山に、岩手県二戸から2人のマタギが狩りにやって来た。その日は、晴れており空も澄みわたり、鹿角の花輪盆地が広く遠くまで見える日であった。その日も狩りが終わり、2人は山の中の眺めの良い場所に腰を掛け、景色を眺めていた。2人のそばには何枚もの熊の皮が投げられて(置かれて)いた。 2人は、狩猟のために何日も家を離れていたため、自分たちの二戸の家のことや残してきた妻子のことを考えていた。「俺たちの仕事は、二戸にいてもマタギの他に何かあるだろうか。」「熊を取って暮らすだけだ。」そう言いながら、あとは沈黙したまま、太い腕を組みながら山から見える鹿角の地をいつまでも眺めていた。

そのうちに、太陽も既に西に傾いてきたため、2人は野宿の支度をした。その晩は、月夜の晩であり、二人はたきぎを焚いて寝った。2人が捕った熊の皮が月に明るく照らされていた。2人は夢を見ていた。その夢枕に立ったのは、二戸にいる妻と子供の顔であった。その内容は、何日も家を空けて帰ってこない夫への寂しさから、妻が化石になってしまうという悪い夢であった。この夢を見て、2人は体が固くなったようになり、びっくりして目を覚ました。「不思議なことがあるものだ。今まで一度もこのような夢は見たことがなかったのに、妻のことを心配しながら寝たら、化石になった妻の声が聞こえた。不思議なことだ。」

2人とも同じ夢を見て、何かがあるような気がした。
翌朝、2人は遠く景色を見ながら、「今までこの山に何度も登って来たが、こんなにすばらしく見晴らしが良かったことはなかったなあ。」「きらきら光って見えるあの川の付近を開拓して田畑にして住んだらどうだろうか。」と話した。

2人は、この山から見える場所を開拓して住む気持ちを固めると、これまで捕った熊の毛皮をこの山へ投げて(捨てて)、郷里の二戸へ帰り、妻子を連れて再び鹿角に戻って来た。そして、それぞれ家を建てて住み、開墾し始めた。
皮投岳のおこりは、マタギ達が山にたくさん熊の皮を投げたために、その名前がついたと言われる。 彼らは、最初に柴が生え木立のよいところを「柴平」と名付けて耕し、また、鏡のような沼を埋め立てて田にした。そこが「鏡田」という地名となり、鹿角の田はこの鏡田を最初として周りへ開けていったと言われている。

このマタギの子孫は、代々開墾し、夏は田畑、冬は動物の皮を取って暮らした。しだいに部落ができていき、鹿角三百町と言われるまでになったとのことである。

~鹿角に伝う物語セット~

地元鹿角で長くご愛顧頂いている定番の千歳盛3本セットの地元限定オリジナルラベルです。

其ノ壱 純米大吟醸 花輪ばやし 300ml

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其ノ参 大吟醸 鏡田 300ml

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